「多層世界の中のもうひとつのミュージアム」について
もうひとつのICC
ICCの活動は,1991年に行なわれた「インターコミュニケーション ’91
電話網の中の見えないミュージアム」という,首都圏の1都7県の電話回線の中に作られたヴァーチュアル・ミュージアムを原点としています.コンピュータ・ネットワークの中のデータ領域を仮想の空間になぞらえて「サイバースペース」と名づけ,新しい物語の舞台としたSFの潮流「サイバーパンク」は80年代半ばに登場しますが,その当時はまだインターネットは商用化されておらず,一般に開かれていませんでした.それから数年後に開催された「電話網の中の見えないミュージアム」は,当時私たちにとって最も身近なコミュニケーション・ツールだった電話を使用して,電話回線というネットワークの中の空間を会場とした「見えないミュージアム」というアイディアを実現したものでした.そこでは,電話を使って世界各国の著名なアーティストや哲学者の話や音楽作品などを聞く,ファクシミリを使ってドローイングや原稿を受け取る,といったことが行なわれ,それ以降に顕在化していくヴァーチュアルな情報空間というものを予感させました.さらには,プッシュホンを使用したインタラクティヴな作品なども登場し,90年代を通じて大きな潮流になっていくメディア・アートの先駆となるような試みも行なわれていました.
1995年には「インターコミュニケーション '95 on the Web ネットワークの中のミュージアム」として,物理的な場を持たないヴァーチュアル・ミュージアムのコンセプトをアップデートしました.それは,いよいよ普及しつつあったインターネットのサイバースペース,つまりグローバルなネットワークによる広がりをもった環境を舞台としたものでした.そこでは,コンピュータによってもたらされる認識の変化や,情報通信ネットワークにおける創造の可能性など,現在にもつながる,インターネット以後の表現が追求され,ウェブ・ブラウザやアプリケーションによる体験,そして遠隔地をネットワークで接続した,リアルタイムの映像パフォーマンスなどが行なわれました.そして,1997年に実空間にICCが開設されて以降,ポスト・インターネットと言われるような,インターネットが私たちの生活に浸透した現在にいたるまで,展覧会や展示作品にもインターネットを取り込んだ実験など,さまざまなアイディアが試みられています.このように,ネットワーク技術は,ウェブやデジタル・アーカイヴなども含め,ICCの活動基盤として重要な位置を占めてきました.
近年では,「ミラーワールド」「デジタルツイン」「コモングラウンド」などの概念が注目を集めています.これらの言葉はどれも,通信やコンピュータ処理の高速化などを背景に,実空間と対応関係をもつ,高精度なシミュレーションなどにも活用可能なデジタル情報空間が実現化しつつあることを表わしています.さらに2020年に起こった新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって,デジタル情報空間への注目度があらためて高まっています.この新型コロナウイルス禍において,多くの美術館が展覧会の中止や延期を余儀なくされ,そうした,観客を迎えることができない展覧会をオンライン上で公開する試みや,アーティストによるオンラインでの作品発表などがさまざまに試行されました.そうした社会変動の中,ICCにおいても,これまでとは異なる新しい展覧会の活動モデルを想定してみることが意味を持つのではないでしょうか.
このたびICCでは,「ヴァーチュアル初台」「ハイパーICC」という,オンラインにおけるプラットフォームとしてのもうひとつのICCを構築し,これまでのヴァーチュアル・ミュージアムの試みを継承する,新しい時代のヴィジョンとその可能性を探る試みを行ないます.その最初の試みである「多層世界の中のもうひとつのミュージアム——ハイパーICCへようこそ」は,幅広い観客層を想定した,オンラインと現実のICCのふたつの会場で展開される展覧会です.家でも展覧会場でも,また,その途中にも,複数のレイヤーで展覧会が体験できるように構想されています.そして,今後も,もうひとつのICCを実空間のICCと連携させながら,さまざまな実験の場として展開していきたいと考えています.
畠中実(ICC主任学芸員)
展覧会を解体し,再考するために
2021年現在,新型コロナウイルス感染症の流行により,いまだ多くの場所で外出の自粛や出入国の制限などの対応が取られています.これまで当たり前に行なわれていた様々な活動が制限され,急激な変化を余儀なくされています.アーティストが作品を制作し,展覧会で発表するという一連の活動もまた,見直されたり,変化したりする契機が訪れているように思います.新型コロナウイルス感染症が本格的に流行してから約一年,多くの展覧会が中止や延期となり,インターネットやオンライン・ゲームの中で,ヴァーチュアルな展覧会やライヴ・イヴェントの試みが多数行なわれてきました.こうした試みには,現在の社会状況に応答して生み出された,新たな可能性や変化を感じることができます.一方で,過去の歴史の中にも,現在の状況に対するヒントが隠されているようにも思います.
例えば,実空間での展覧会を前提としないという点において,2010年前後に活発だったポスト・インターネットと呼ばれるネット・アートの動向を思い出すことができます.ポスト・インターネットのアーティストたちは,インターネット上で3DCGによるヴァーチュアルな展覧会を開催したり,実際には開催されていない展覧会のオープニング・パーティーの映像を捏造したり,実際の展示の様子ではなく,加工された展示記録の写真の方をオリジナルな作品として扱うなど,実空間の展示を必ずしも重視しない試みを様々に行なっていました.それらの試みからは,私たちの生活の一部となったインターネット固有の質感を,ひとつひとつ確かめるような手つきが感じられました.また,そもそも本来のネット・アート自体が,しばしば既存の「展覧会」という形式とフィットしないことから必然的に生み出された,いわば展覧会という形式への実験だったと見ることができます.
さらに過去を振り返り,インターネットが普及しはじめたころまで遡ってみます.このころインターネットの普及と前後して,「マルチメディア」という言葉が盛んに用いられていました.文字や画像,映像,音声など,本来は形式が異なるメディアを統合し,同一のレイヤーで扱うことができるメディアを意味する言葉です.これは現在の私たちが日常的に目にするWebページや,スマートフォンのアプリケーション等でごく当たり前に目にする光景で,今や誰もこれらを「マルチメディア」とわざわざ呼ぶことはなくなりました.しかし,この概念を敷衍して考えれば,そもそも私たちが,これまで現実の空間で体験してきた「展覧会」という形式も,しばしば複数の異なるメディアが統合,配置される「マルチメディア」な場所であったと言えます.今,私たちが直面しているのは,そうした異なるメディアを統合する場所としての展覧会のあり方が問い直されているという状況です.
また,今回この「多層世界の中のもうひとつのミュージアム」が開催されるICCは,開館前の1991年に「インターコミュニケーション ’91 電話網の中の見えないミュージアム」 という電話線を用いた,ヴァーチュアルなミュージアムを展開する実験的イヴェントを開催していました.電話やファクス,コンピュータなど,複数の方法からアクセスし,対談や朗読,音楽やコミックなど,さまざまなメディアの作品を鑑賞,体験することができました.ICCの原点となったこのイヴェントが,物理的な展示空間を前提とせず,複数のメディアが並行した形態であったことは,現在の状況と重なって見える部分があります.
いま,このような状況でもう一度,展覧会について実験したり考えたりするためには,いったん既存の展覧会という形式に統合されたものを再びバラバラにして,まずは並置してみることが必要に思えます.そうした時に,展覧会はひとつの空間や時間に集約されたり統合されたりするものではなく,断片的で,多層的なものになるはずです.この「多層世界の中のもうひとつのミュージアム」には,そうした断片的で多層的な作品と,その体験がいくつも用意されています.また,これは今後も継続して展開されるICCの新たなプラットフォームとしても制作されました.これらを通じて,今後もこれまでとは異なる展覧会のあり方について実験と思索を継続していきたいと考えています.
谷口暁彦
身体を持っていく/展覧会を持ってくる
これまでもアーティストは,ギャラリーや美術館などの現実空間だけでなく,インターネットなどのネットワーク上やヴァーチュアル空間での作品発表を行なってきています.現在では,昨年からの新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により,以前にもましてインターネットなどのネットワーク上での発表を目にする機会が増えています.
そんな中であらためて,自分の家の中でコンピュータやスマートフォンを使って画面の前で作品を観賞・体験する自分の身体について考える機会を得ています.たとえば,展覧会へ実際に行って体験する自分の身体が,オンラインでの体験では,どれくらい違うのか,どれくらい近いのか.また,身体の体験をどのようにしたらオンライン(画面の中)に持っていけるのかを考えてみます.
展覧会へ行くときには,歩いたり,電車に乗ったり,エスカレーターやエレベーターを利用したり,車やバスで道を走ったりと,自分の身体を家から展覧会場へ持っていかなければなりません.しかし,ライヴ配信などのネットワーク上の作品へのアクセスは,身体を持っていかなくても家の中から,また外出先のスマートフォンなどからでも鑑賞できてしまうのです.
しかし,自分のコンピュータでライヴ配信や作品を鑑賞するときに起きてしまう雑念の多さに驚くこともあります.少しでも集中力が途切れれば違うタブをマウスカーソルでクリックしている,飲み物を冷蔵庫に取りに行く,鑑賞しながらそれについてWikipediaで調べてしまう.そして,次第にウィンドウが小さくなって隅の方に行ったり,タブがどこに行ったかすらわからなくなってしまうのです.そうして,もう一度タブをクリックしたりアプリケーションを立ち上げ直したりして鑑賞にもどる.もしかするとこれは展覧会を見るためにその会場に行くという行為そのもののようだとも思うのです(何度も往復しているみたいな気がしますが).
身体を展覧会場や上映,上演会場に持っていくことと,コンピュータやスマートフォンで体験することは,身体の物理的な移動という点では,とてもかけ離れている気がしますが,実は結構似ているかもしれません.そこには,今いる環境から展覧会という環境へ飛躍するための,(物理的とは限らない)移動,準備が多かれ少なかれ必要となるのではないでしょうか.
指先を動かすか,足や体全体を動かすか,向こうがやって来るかこちらが行くか.実際にネットワーク上で展開される作品は,自分の側(自分のコンピュータ)に持ってくるイメージに近く,そして現実の展覧会へ行くことは,どちらかと言うと自分を持っていくイメージに近いように思います.そのように身体の体験という視点で考えたときに,実空間の展覧会をそのままヴァーチュアル空間に持っていくということだけでは,満足できなくなっていくのではないでしょうか.
ヴァーチュアル空間だからできる展覧会の鑑賞体験とはどのようなものでしょうか.それを探る試みは,ヴァーチュアル空間と接続する身体のふるまいを観察することから始まるように思います.実空間ならではの鑑賞体験があり,ヴァーチュアル空間や他の環境でも,現実の代替手段としてではなく,それぞれの環境によって引き出される,ある環境ならではの体験を,多層的に考えていきたいと思っています.
時里充
About the exhibition
A New Kind of ICC
ICC’s activities have the roots in “InterCommunication ’91: The Museum Inside the Telephone Network,” in 1991. This was a virtual museum that was created inside the telephone lines of Tokyo and its seven surrounding prefectures. The science fiction trend of “cyberpunk,” which likened the data domain inside computer networks to a virtual space, calling it “cyberspace,” and used it as a setting for new stories, emerged in the mid-1980s, but in those days, the internet had not yet been commercialized and was not open to the general public. “The Museum Inside the Telephone Network,” which was held several years later, used the telephone, which was in those days our most familiar tool of communication, to realize the idea of an “invisible museum” that had the space inside the network of telephone lines as its venue. In the museum, people could use their phones to listen to talks by famous artists and philosophers from around the world and to musical works. They could also use their
fax machines to receive drawings and articles. It was a premonition of the kind of virtual information space that was to manifest in later years. Moreover, interactive works created with the use of push-button phones also appeared, and people were trying things that would pioneer media art, which became a major trend in the 1990s.
In 1995, this event was upgraded to “InterCommunication ’95: on the Web—The Museum Inside the Network,” the concept of which was a virtual museum without a physical venue. Its venue was cyberspace on the internet, which was at last starting to become more mainstream. In other words, the venue was a broad-ranging environment created by global networks. The 1995 event explored changes in awareness brought about by computer, the creative potential in telecommunications networks, and other forms of expression since the advent of the internet that are still relevant today. Hands-on experiences using web browsers and applications, and real-time video performances connecting remote locations by networks were some of its features. Then, from when the ICC opened in the real space in 1997 until the present day, which has come to be known as the post-Internet age, when the internet has completely permeated our daily lives, many different ideas have been trialed. They include experiments
that incorporated the internet into exhibitions and the exhibited works. In this way network technology has continued to occupy an important position as the foundation of ICC’s activities, including the web and digital archives.
Concepts such as “mirrorworlds,” “digital twins,” and “common ground” have become the target of attention in recent years. These terms represent the fact that, against a backdrop of increasingly fast telecommunications and computer processing, a digital information space that corresponds to the real world and that can be used for high-precision simulation is starting to become a reality. Further, the global COVID-19 pandemic that struck in 2020 cast a renewed spotlight on the digital information space. Due to the pandemic, many art museums were forced to cancel or postpone their exhibitions. Unable to welcome visitors physically, they tried holding these exhibitions online, and artists also experimented with releasing their works online. In the midst of this kind of social change, perhaps there is meaning in envisaging new, completely different models for exhibitions at ICC as well.
This year, ICC will build Virtual Hatsudai and Hyper ICC, a new kind of ICC, as online platforms. Inheriting the legacy of past attempts at the virtual museum, they will seek to explore visions for a new age and their possibilities. The first of these new endeavors, “The Museum in the Multi-layered World,” is an exhibition that will be rolled out at ICC’s two venues—online and in real life. Envisaging a wide range of visitors, it has been conceived so that visitors can experience the exhibition in multiple layers—at home, at the exhibition venue, and in between. Linking this new kind of ICC and ICC in the real-world space, we hope to expand them both as spaces for a variety of new endeavors.
HATANAKA Minoru (Chief Curator, ICC)
To Break Down and Re-examine Exhibitions
Today, in 2021, due to the spread of COVID-19, various measures are still in place in many places, such as stay home directives and border closures. Activities that, until recently, had once been pursued as a matter of course are now being restricted, and drastic changes have become unavoidable. I believe that this situation is giving us the opportunity to re-examine the continuum of activities in which artists create their works and present them at exhibitions, and to bring about change. In the year or so since COVID-19 started to spread in earnest, many exhibitions have been cancelled or postponed, and there has been a multitude of experiments in virtual exhibitions and live events on the internet and inside online games. In these endeavors, I can sense new possibilities and changes that have been born from a response to the current state of society. On the other hand, I also believe we can find hints for dealing with the current situation hidden in history as well.
For example, in terms of presenting art in ways that are not premised on exhibitions in real-world spaces, we can recall the “Post-Internet” net art trend that was active around 2010. Post-Internet artists carried out many and varied endeavors that did not necessarily emphasize exhibiting in real-world spaces. They included holding 3D CG virtual exhibitions on the internet, making fake videos of opening parties for exhibitions that were never actually held, and treating manipulated photographs of exhibited works as the original works, instead of the actual exhibits. With these ventures, these artists seemed to be trying to check, one by one, the kinds of textures that are unique to the internet, something that has now become a part of our everyday life. We could see them as experiments in exhibition formats that emerged by necessity from the fact that net art itself often did not fit in well with existing forms of “exhibitions.”
Let’s go back even further, to those early days when the internet was just beginning to become widespread. Around this time, the word “multimedia” was a popular buzzword. It referred to a kind of media that integrated individual media that have inherently different forms, such as text, images, video, and sound, allowing them to be handled in the same layer. It is the kind of thing that we see as a matter of course today in webpages and smartphone apps on a daily basis. Nobody ever refers to them specifically as “multimedia” anymore. However, if we elaborate on that concept, we could say that the form of “exhibition” we have experienced in real-world spaces until now have often been places of “multimedia,” in which multiple, different forms of media are integrated and arranged together. The situation we now find ourselves in is that the question of what exhibitions should look like in the future, as places for integrating differing media, is once more being asked.
At ICC, where “The Museum in the Multi-layered World” takes place, held an experimental event way back in 1991, before it even opened, called “InterCommunication ’91: The Museum Inside the Telephone Network.” This event took the form of a virtual museum that used telephone lines. It could be accessed by multiple means, including telephone, fax, and computer, and visitors could enjoy and experience works of various media, including dialogues, readings, music, and comics. This event, which formed the origin of ICC, was not premised on a physical exhibition space and took the form of multiple media running concurrently with each other. We can look back on how it overlaps with the current situation.
Now, under current circumstances, if we are to experiment with and think about exhibitions once more, I believe we need to first break down the forms that have been integrated into existing exhibitions and line them up alongside each other. At that time, exhibitions will no longer be a collection or integration of works in a single space or time, but will likely become more fragmented and multilayered. The Museum in the Multi-layered World presents these kinds of fragmented, multilayered work and several ways of experiencing them. It has been produced as a new platform for ICC that will continue to evolve into the future. Through these endeavors, I hope we can continue to experiment with and explore a vision for exhibitions that differs from what we have seen to date.
TANIGUCHI Akihiko
Taking Ourselves to the Exhibition/Bringing the Exhibition to Us
For some time now, artists have been exhibiting their works, not only in real-life spaces such as art museums and galleries, but also on networks such as the internet and in virtual spaces. Today, due to the global spread of COVID-19 since last year, there are more opportunities than ever to see those works on the internet and other networks.
These opportunities have also prompted us to think about our own bodies as we appreciate and experience these works on our computer screens or smartphones in the comfort of our homes. For example, how differently, or indeed, how similarly, do our bodies react when we experience these works by actually going to exhibitions compared to experiencing them online? We also have the chance to think about what can be done to bring the physical experience into the online (in the screen) experience.
When we go to an exhibition, we have to physically travel from our homes to the exhibition venue. We walk, ride in a train, use escalators and elevators, and travel the streets in cars or buses. When we have access to works on networks, such as live streaming, we do not need to go anywhere physically, and instead, we can enjoy them from the comfort of our own home, or outside the home on our smartphone.
However, it can be surprising how our minds stray when viewing live streams or artworks on our computers. When our concentration lapses even just a little, we might find ourselves clicking on a different tab with our cursor, going to get a drink from the refrigerator, or looking up what we are viewing on Wikipedia. The window gets progressively smaller and tucked away in a corner, and sometimes we can’t even find the tab anymore. So we click on the tab again or relaunch the app and start watching again. In some ways, this may be just the same as physically visiting an exhibition at a venue (although it does feel like we are making multiple trips).
Physically going to an exhibition, screening, or performance venue, and experiencing it on a computer or smartphone may seem like very separate things in terms of the physical movement of our bodies, but they might actually be quite similar. What we may need is some kind of movement (not necessarily physical) and preparation, to a greater or lesser degree, to leap from the environment we are currently in to the environment of the exhibition.
Do we move our fingers, our legs, our whole body? Do we bring the exhibition to us, or do we go to it? Works actually exhibited on networks are closer to the concept of bringing it to us (to our computer), and going to the actual exhibition is more in the realm of taking ourselves to it. When we think about this from the perspective of the physical experience, if we were to simply bring real-space exhibitions into the virtual space as is, perhaps we would become less and less satisfied.
What does the experience of appreciating an exhibition, precisely because it is in the virtual space, look like? Any effort to explore this question would start from observing the physical behavior of our bodies when we connect to the virtual world. There are appreciation experiences that are unique to the real-world space. Instead of considering virtual spaces and other environments simply as alternative means to the real world, I want to think more multilaterally about the experiences that each of those environments engender, and about what experiences are unique to those environments.
TOKISATO Mitsuru