オープン・スペース 2021
ニュー・フラットランド
「オープン・スペース」展は、現代のメディア環境における多様な表現をとりあげ、ICCの活動およびメディア・アート周辺の動向を紹介する、シリーズの展覧会です。2006年の開始以来、毎年展示内容を更新し、これまで14回の展覧会を開催してきました*。本展は、年度を通じて、あるいは長期にわたる会期で開催され、幅広い観客層を想定した、ICCの活動の基盤として位置付けられています。
近年は、毎年テーマを設け、メディア・アートにおける代表的な作品や、同時代の技術を取り入れた作品、批評的な観点を持つ作品、新進アーティストによる作品などによって、時代とともに更新される技術や社会と、それにともなって変化し続ける芸術表現を中心に、構成しています。また、大学やNTTの研究所をはじめとする研究機関との連携や、アーティストや有識者を招いたトーク、シンポジウム、ワークショップ、作品解説ツアーなどの関連イヴェント、映像アーカイヴ「HIVE」などを通じて、現在のテクノロジー環境における文化の理解を深めることをめざしています。
2021年度は、「オープン・スペース 2021 ニュー・フラットランド」と題し、現実世界とインターネットの世界が地続きになったと言われるような、ポスト・インターネット時代をへて、リアルとヴァーチュアルという異なる次元がフラットに連続する現代のテクノロジー環境におけるさまざまな表現をとりあげます。
*——2020年度は新型コロナウイルス感染症対策のため臨時休館し、開催せず。
ニュー・フラットランド——新しい世界のとらえ方
畠中実(ICC主任学芸員)
科学的な発見が私たちの認識を変え,新しい世界観をひらき,そのつど私たちは新たな地平において物事を考えるようになりました.
イタリアの哲学者,ルチアーノ・フロリディは,現在の私たちが,そうした世界認識の変化の中にいると言います*1.それが,コペルニクス(天動説),ダーウィン(進化論),フロイト(無意識の発明)に続く,デジタルICTがもたらした新しい環境としての情報圏の登場です.情報技術がもたらす情報圏は,それがたんにツールであることを超えて,人類が世界を理解し,解釈するための方法を変え,新しい次元を思考することをうながし,意識の革命をもたらす環境であると言います.
1884年に英国のエドウィン・A・アボットによって書かれた小説『フラットランド たくさんの次元のものがたり』*2には,フラットランド(2次元の平面世界)の住人が,1次元世界や3次元世界の住人をまったく理解することができない様子が描かれています.そして,平面世界の住人は,理解できないが自分の知り得ない高次元というものの存在を知り,さらなる未知へと思考を広げていくのです.
私たちは自分たちが認識することができていない世界があることを想像し,閉じた世界を開き,新たな世界を拡げていくことで,世界の認識を更新してきました.それが,フロリディの言うような,これまでの人類の意識革命につながったと言えるでしょう.
現在の私たちは,ネットワークによって世界が接続され,ひとつの村のようになると言った,マーシャル・マクルーハンの予言が現実化した状況から,さらにリアルとヴァーチュアルという異なる次元がフラットに連続する現代のテクノロジー環境を生きています.
それは,マクルーハンが電子メディアを「認識,相互作用,対話」をうながすものであると言ったように,私たちの認識や意識を拡張する可能性を持ったものである一方,現在の現実世界とインターネットの世界が地続きになったと言われる,このポスト・インターネット時代のような,フィルターバブルなどの情報を遮断した世界を作ることにもつながっています.
しかし,人類史において,人類の認知を超える発見によって,私たちが閉ざされた世界から解放されたように,このような現代のテクノロジー環境は,自らの閉ざされた世界の外側を想像し,実世界と情報世界を行き来しながら,新たな認識を生み出す可能性を持った,新しいフラットランドなのかもしれません.
*1——ルチアーノ・フロリディ『第四の革命——情報圏(インフォスフィア)が現実をつくりかえる』春木良且、犬束敦史 監訳 先端社会科学技術研究所 訳 新曜社、2017年
*2——エドウィン・アボット・アボット『フラットランド たくさんの次元のものがたり』竹内薫 訳 講談社選書メチエ、2017年
出品作家および作品例
伊阪柊《Sprites》2021年
この作品は,電磁波による自然環境や電子機器などへの影響を,さまざまにイマジネーションを拡張して考察する,環境に反応するインタラクティヴな作品です.
東京の空港周辺上空の飛行禁止空域という見えない領域を,3DCGによって建築的に可視化し,空に浮かぶ建築物のような構造として提示します.
会場に設置されたアンテナが,空間中の電磁波(主に起動しているコンピュータやプロジェクター,スマートフォンなどの電子機器,身体から発する微弱な静電気,あるいは宇宙放射線など)を検知すると,電磁波の強さに応じて,上映されている3DCG映像の中の「スプライト(雷)」が,リアルタイムに反応します.
イップ・ユック゠ユー《To Call a Horse a Deer / 指馬為鹿》2018年–
画面に表示される指示に反して,真偽問題(○×式クイズ)に答えていくゲームです.回答者は,嘘をつくように指示された場合は設問に対する正しい答えを,真実を言うように指示された場合は間違った答えを選ばなければいけません.
この作品のタイトルは,中国の慣用句である「鹿を馬と呼ぶ」を反転させたものです.この慣用句は,中国の古典『史記』の中で,秦の野心的な政治家が,他人と結託して鹿と馬を混同させることで敵対者を特定し,反対意見を封じ込めようとしたという話に由来しています.
岩井俊雄《マシュマロモニター》2002年
マシュマロのような形をしたオブジェについたモニターに,ヴィデオ・カメラで撮影された自分の姿が映し出され,リアルタイムにゆがんだり伸びたり縮んだりします.ヴィデオ・カメラでとらえた映像をコンピュータに蓄え,映像を画面に描画する時間を遅くすることで,映像の中に動きの軌跡が表示され,写された対象を変形させています.
(2015–19年度「オープン・スペース」展示作品/継続)
emolingual
emolingualは,2019年に結成された,絵文字にまつわる創作活動や開発を行なうプロジェクトです.これまでに,絵文字を入力するための専用キーボードや,入力された文章に対して文脈に合致した絵文字を自動で推定し提案する入力インターフェイスを開発してきました.
絵文字は,現在では「emoji」として世界中の人に使われ,その流行は文字コードの国際基準であるユニコードの普及にも大きく寄与したと言われています.emolingualは,その活動を通して,言語としてのemojiのさらなる可能性を探究しています.
齋藤帆奈《Non-Retina Kinematograph》2017年–
映画を超スロー再生しているディスプレイの真上で粘菌が培養されています.粘菌は暗いところを好むため,ディスプレイに映る映画のフレーム画像中の暗い領域の方に向かって動きます.その粘菌の形状に合わせて映画フレームのピクセルが入れ替えられ,粘菌の通ったあとの映画フレーム画像は,粘菌が好む色の領域と好まない色の領域に分けられていきます.齋藤は,この画像の連なりを,網膜を持たない(Non-Retina)粘菌が「観た」,そして「作った」映画であると捉えています.
グレゴリー・バーサミアン《ジャグラー》1997年
アニメーションなど映像装置の原型であるゾートロープの原理を応用し,ストロボの光を利用して実現される立体ア二メーションです.受話器を手にした人体がそれを中空に投げ上げると,放り上げられた受話器は哺乳壜,サイコロなどへと形態を変容させながら再び人体の手へと戻ってきます.人間と機械の間にある希望と葛藤を表現しています.
ICCコレクション作品として,1997年のICC開館より親しまれてきた作品です.
(2006–19年度「オープン・スペース」展示作品/継続)
原田郁
(オンライン・アーティスト・イン・レジデンス)
コンピュータ内に自身で制作した3DCGの架空の世界を立ち上げ,その仮想世界と現実世界を往来しながら,その仮想世界の中の風景を絵画作品として制作しています.
今回は,絵画を制作する現実のアトリエを,仮想世界の中の作家のアトリエと重ね合わせてオンラインで公開します.また,公開制作のプロセスをさらに仮想空間にフィードバックすることで,絵画と仮想世界の風景が変化していきます.
今年度より開始した,ICCのオンライン・プラットフォームでのレジデンス・プログラムで,会期を通じて,随時制作が行なわれます.
布施琳太郎《名前たちのキス》2021年
SNSやスマートフォンを基盤にした現在のコミュニケーションや,新型コロナウイルスの感染拡大における人間同士の距離のとり方など,変わりゆく社会の中で,現在の私たちをとりまく現実のありようを,オンラインにおける恋人同士のコミュニケーションとして表現した映像作品です.
布施は,現代の極度に情報化した社会において,それに伴って生み出された新しい意識や価値などにもとづく芸術のあり方への関心から制作を行なっています.
この作品は,昨今のニューノーマル下での生活様式において,たがいにハンドルネームで出会い,本当の名前すら知らないままに,オンライン上でだけコミュニケーションを深める人々の関係性に着目して制作されました.
細井美裕《Lenna》2019年
この作品は,NHKが開始した8K衛星放送における音声の制作・伝送規格である,22.2チャンネルサラウンドのフォーマットで制作された,声のみを素材にした空間的な音楽作品です.
展示においては,無響室の特性を生かした独自の再生環境で,立体的な音場を体験できるようにしています.
* 無響室でおひとりずつ体験していただく作品のため,予約制です.予約方法につきましては,後日ICCウェブサイトにてお知らせいたします.(2019年度オープン・スペース展示作品/継続)
コンセプト/声 : 細井美裕
作曲:上水樽力
ミックス:葛西敏彦(studio ATLIO),蓮尾美沙希
マスタリング:風間萌(studio ATLIO)
アシスタント:飯塚晃弘(studio ATLIO)
立体音響デザイン:蓮尾美沙希
立体音響システム:久保二朗(株式会社アコースティックフィールド)
山形一生 (オンライン・アーティスト・イン・レジデンス)
山形はこれまで,インターネット上でのみ閲覧できる作品を多く発表してきました.
今回のオンライン・アーティスト・イン・レジデンスでは,これまでのオンラインでの作品を発展させ,映像や写真といった現実で行なわれる諸活動の記録がネット上にアップロードされる際に起こる変容,またはそのあり方を再考します.
今年度より開始した,ICCのオンライン・プラットフォームでのレジデンス・プログラムで,会期を通じて,随時制作が行なわれます.「オープン・スペース」では,オンラインでの作品発表と並行した展示を実空間で展開します.
アンナ・リドラー《モザイク・ウイルス》2019年
この作品は,世界初のバブル現象とされる,1630年代のオランダで起こった「チューリップ・バブル」と呼ばれる,チューリップの球根の価格の急騰と暴落に想を得て制作されています.
リドラーは,そこに現在の暗号通貨の投機との類似性を見出し,機械学習によるイメージ生成モデルを使用して,チューリップのイメージをビットコインの価格によってコントロールし,時間とともに変化させることで市場の変動を示し,その関係を明示しています.
タイトルは,チューリップのみが感染するモザイク・ウイルスによって生まれた変種が,爆発的な人気と価格の高騰を生み出したことに由来しています.
マヌエル・ロスナー 新作
コンピュータ・グラフィックスによるカラフルなヴァーチュアル彫刻を,デジタル写真として現実空間に介入させるシリーズの作品を制作します.
現実の展示空間とそっくりなヴァーチュアルな展示空間を作り,現実世界には存在しない作品を仮想空間で展開し,私たちの現実とヴァーチュアルな世界との関係性を表現しています.
建築物のイメージに巨大なヴァーチュアル彫刻作品を合成し,仮想の公共空間での制作を行うなど,リアルとヴァーチュアルを連動させる展示を行なっています.
小鷹研究室(名古屋市立大学)「小鷹研究室の錯覚論争 2016–20」
名古屋市立大学大学院芸術工学研究科の小鷹研理研究室では,「からだの錯覚」を中心テーマとして,新しいメディア空間における新しい〈からだ〉のかたちを模索しています.ICCキッズ・プログラム 2021「チューンナップ じぶんをととのえる」にひきつづき参加し,「オープン・スペース 2021」では,物理的な光学現象から日用品を取り入れたVR装置までさまざまな素材や手法を駆使しながら新しい錯覚を考案してきた小鷹研究室のこれまでの活動の歩みについて概観します.とりわけ,2014年より5年連続で開催されたプロジェクトの成果展「からだは戦場だよ」(岐阜市)に焦点を当て,関連の映像素材などを紹介します.会期中に展示替えを行なうほか,ワークショップの開催も予定しています.
リサーチ・コンプレックス NTT R&D @ICC「触覚でつなぐウェルビーイング」
「リサーチ・コンプレックス NTT R&D @ICC」は,2017年度の「オープン・スペース 2017 未来の再創造」展から開始された.NTTの研究所の先端的な取り組みをICCの展示活動の中で紹介し,未来の人間および社会に関するコンセプトを提案する場です.今年度の展示では,近年注目されている「ウェルビーイング」(その人としていきいきと生きること)の中でも,他の人とのつながりの中で生じる「わたしたちのウェルビーイング」をいかに作り出すことができるのか,ワークショップによる実践や触覚に関する技術を用いた試みを紹介します.
新進アーティスト紹介コーナー「エマージェンシーズ!」 emergencies!
「エマージェンシーズ!」は,新進アーティストやクリエイターの最新作品やプロジェクトなどを紹介するコーナーです.2006年以降,これまでに合計39組の作品を展示しています.今年度は2回の開催を予定しています.
エマージェンシーズ!040
梅沢英樹+佐藤浩一 2021年10月30日(土)—12月19日(日)
エマージェンシーズ!041
米澤柊 2022年1月15日(土)—2月27日(日)(予定)
HIVE
ICCの映像アーカイヴ「HIVE」(ハイヴ)では,ICCの所蔵するヴィデオ・アート作品,アーティスト,科学者,批評家などのインタヴュー映像,1997年の開館以後開催されてきたICCの数多くの活動の映像記録をデジタル化し,コンピュータ端末から視聴することができます.また,上記のコンテンツのうち一部はHIVEのウェブサイト (https://hive.ntticc.or.jp/)からも視聴可能です.
※2021年4月1日より当面の間,ウェブ版HIVEにてクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを付与し公開してきたコンテンツを,ストリーミングのみの公開としています.